2018年09月29日

朝の連続テレビ小説「半分、青い。」は、半分、私?

終わってから書こうと思っていたので久々のブログ。(要は長文)


「半分、青い」はあらすじが公開された時に、あら?これ「半分、私?」と思っていました。その当時のあらすじが今はちょっとどこにも見当たらないんだけど


最初は、漫画家を目指し岐阜から上京、漫画家になるも挫折、シングルマザーになって帰郷、その後、七転び八起きしながら、やがて一大発明を・・的なあらすじが書いてあったんですよ。


ちなみに、私が好きな朝ドラトップ3は

あまちゃん(DVDボックス他関連本買った、買った。)
カーネーション(糸子が尾野真千子さんとこまで録画。周防さんLOVE。DVDが2と3で周防さんマタギなので録画どまり。でもお話も登場人物もみんな好き。)
ごちそうさん(本放送も見てたけど、再放送見てからDVDボックス買った。)

です。あ、あと、てるてる家族。再放送が初見だけど。

で、Twitterではツッコミながら見てるので(ツッコまない時は真剣に見てる)
ツッコミ度が高いのは

まれ 1748ツイート
半分青い 1413ツイート
とと姉ちゃん 1356ツイート

はあ?度が高いほどツッコんでます。(なので半青ファンの方はブラウザを閉じてね。)

でも、ツッコミ過ぎると、純粋なそのドラマファンから、明後日の方向のリプライを食らうので(まれの時が怖かった。)、ファンの方を刺激し過ぎないツッコミをとと姉ちゃんと半分青いで習得しました。

Twitterでツッコミだしたのは、ごちそうさんぐらいからです。


で、そうじゃなくて本題。

なんで、半分、私?と思ったかというと


ここから基本自分語りです。







それは、私が鈴愛さんと同じように高校卒業後、漫画家になるために上京したからです。
あ、書いちゃった。


実は、あまりいろんな人には言ってない経歴。
履歴書には仕方なく書くけど。(空欄になるから)


でも、漫画家になりたい、なりたかった人って結構いると思うんですよ。
(実際、そう言ってる人に会うことあるし。)
それこそ、同人誌で漫画を描いている人は今も昔もごまんといるし。


でも、違うんです。
私は、なろうとしてたんです!


どこから書けばいいのか。


まあ、ちっちゃなころから落書き大好きでーは基本として

私の時代は(鈴愛さんとほぼ同世代)、学校に漫画同好会がなければ、会費払って会誌(同人誌)を作ったりするサークルとかがあるんですが

何のことか分からない方はこちら
https://togetter.com/li/1238036

私は高校入ってから、美術部の先輩に誘われたサークルと、自分が好きだった人(あの頃はアニメ系雑誌やファンロードで素敵なイラストを描いている方がサークルで会員募集をしていたんですよ。個人情報ゆるゆる時代、最高。)が主催しているサークルと、あと2つくらい入ってたんですね。(入り過ぎ。ちなみに全部オリジナルです。)


で、そのうちの一つの会誌を大阪の同人誌即売会で見たという、東京で自分で出版社を立ち上げて、劇画村塾のように漫画家を育てようとしていた方がいたんですが、その方、A氏から声をかけてもらったんです。


高2になった春ぐらいかな?


その人の作ってる雑誌(形態はムックに近かった)は、私の画風とも趣味とも合わなかったけど(私はバリバリの少女漫画。なかよし育ちの少コミ、LaLa花ゆめの白泉系から別マも来い!プチフラワーもグレープフルーツも来い!状態。)、とりあえず東京の人だ!一応名まえも知ってる!おお!ということで、二軍誌に描かせてもらっていたんです。
でも、私一人ぶっちぎりの少女漫画なので浮きまくりでしたが。(あと今も見返せないくらい下手くそ。)


で、進路を決める頃になって、A氏から東京に出てこない?と誘われて、よっしゃ行く!ですよ。


私は最初から、進学も就職する気もなく上京一択。
てか、漫画描いてたら、学力落ちまくり。(よしながふみさんのフラワーオブライフに激同。でもよしながさんはK応。地頭か・・。)


漫画描きたいのに、進学とかない!


もちろん親と全面衝突。特に母親は保守的だったので(短大行って就職して結婚して欲しかったらしい。)、母親の人生全否定したりして。(若い。ちなみに今もたぶん根に持たれてる。)


幸い父親が夢見がちな人だったので(そのDNAが今も・・)賛成してくれて、あっさり上京OK。(高校の担任の先生もびっくり。)


アパートの保証人には、A氏がなってくれて、私の上京生活は杉並区は上井草の1Kの築30年ぐらいの木造アパート風呂なしから始まったのです。家賃は管理費込の3万5千円です。


が、上京したら、A氏は漫画雑誌を辞めてました。


元々有名ゲーム業界の方ともつながりがあったらしく、ゲーム開発に転向されてました。しかも1作目から大ヒット。(たぶんゲームやる人なら知ってるタイトル。)私もA氏とは、上京後最初の1か月ぐらいまでしか交流がなかったかも。(Wikipedia見たら、A氏にとっては、出版社時代は黒歴史みたいで。)小学館のサンデーの編集部に連れてってもらったりぐらい。(だから私は少女漫画、、、)



でも、その二軍誌からプロデビューしてメジャーになった方もいます。それこそアニメ化されたりとか。(逆に本誌からメジャーになった人いないかも。)


で、ちょっとぼーーっと過ごしていたら、入っていた東京の漫画サークルの人から、B先生のアシスタントをやってみない?と声をかけられたのです。


いろんな雑誌を読み漁っていた私は、B先生、知ってる!24年組の一人?いやちょっと違う?な先生。ということで初めてのアシスタント生活がスタート。まずはベタですよ。ベタ。あと、ちゃんと作品持って行きましたよ。


私はそこではベタとトーン貼りとあと描き文字が気に入られたのと、山の絵(どんな絵というか漫画)が気に入られたので、それが多かったです。


アシスタントの先輩も割と若い人が多くて、プロ目指してたり、もっと有名(あ、、、)な漫画家さんのアシスタントしてる人もいたり、とにかく生原稿の迫力に圧倒されてました。(好きな漫画家さんが遊びに来て、ついでに手伝ってたりしてました。)


私がB先生の所にいる間に、それこそLaLaの白泉社の優秀新人賞を獲った方がいて(その原稿も夜中にちょっと手伝ったよ。)たぶん、一番、刺激をもらえた1年。


ちなみにアシスタント全員がプロ目指してるとは限りません。そこは半々だったけど、前出のアテナ大賞の方は、10年ぐらいは描いていたけど、その後は???逆に当時、プロアシやりながら同人誌をやっていた方が、今プロになってたり。


1年はいたかな?で、時代はバブル。でも、そこのアシスタント料は、ちょー低賃金。そこへ当時全盛期のレディースコミックで忙しいZ先生のアシスタントに誘われたのです。(誘われるがままの私)


Z先生は、まだ少女漫画とレディコミ半々だったので、少女漫画の時に行くと、いきなり背景を頼まれてビビりました。


あとZ先生は、あまり自分の絵と背景のタッチが違っても気にしないのか(おい)、どんどん大きい背景を任せてくれました。(丸々一頁とか見開きとか頼まれると心躍る。)そして給料(日給です。)は4倍。お部屋も綺麗。お布団も綺麗。(仕事は1本50頁で5泊6日ぐらい。徹夜は最後ぐらいにあるかないか。)


取材と称して海外旅行にも連れて行ってもらいました。バブル〜。
今思えば、あん時のZ先生、30そこそこですよ。


お給料も月収にしてOLさんよりも多く、このままアシスタントで食べて行けちゃうくらい。新人漫画家やるより稼げる。(これアシスタントあるある。)


そこで気が付きます。

私、自分の漫画描いてない!!!(サークルの会誌で4頁〜8頁のショートショートは描いてましたが。)


ってことで、一念発起、なんとか描いた漫画16頁。自分でもイケてると思って持ち込みに行きました。ちなみにお話づくりで役立ったのは、先のA氏の助言でした。(モノにエピソードを絡めろ、司馬遼太郎を読め。が記憶に残ってます。後者は実行しなかった。)


結果は、編集さんにボロクソ言われて帰りました。


でも、なぜか、それでもイケてると思ってた私。(若い頃の根拠なき自信。というかホントに何故か自信があった。)


編集部から電話があったのかなかったのか忘れましたが、その作品は、今はなき「ぶ〜け」で1席(31点)でした。(ピンクのページに掲載されましたよ。今でも持ってる。)でも、担当はつかなかった。(よっぽど持ち込みの時の私の服装と態度がダメだったのか。顔か顔なのか‼︎)


燃え尽きたのか、その後、2作目になかなか取り掛かれず。


そのうち、4つ年上のアシスタント仲間が、アシスタントだけしてちゃダメだ、狭い世界にずっといちゃダメだと呪いの言葉をかけてくれるようになりました。(彼女はOL経験者。)まさに24歳の時の裕子のように。


で、彼女の言うことも一理あるし、親とも約束していた4年も経ったので(人が大学行く間みたいな約束をしてたようなしてなかったような。)、ここでちょっと漫画とは違うアルバイトをしながら、自分の漫画を描く時間を持とうと、アシスタントは辞めたのでした。


その後、結果的に何本描いたのか。少なくとも6作以上は描いたのかなー。忘れた。でも、どんなに持ち込んでも投稿しても担当はつかなかった。そのうち持ち込みも怖くなって投稿だけしてました。(投稿する雑誌も変えたり。)


アシスタント経験である程度、絵は上手くなったけど、デビューするために描くのか、描きたいものを描くのか、自分が何を描きたいのかよく分からない状態に。


私は鈴愛さんと違って、入り口にも立てなかったのです。


その後は、気持ちを切り替えて、事務の仕事をしたり、やっぱり絵を描きたいわーと思ってMacの触り方の学校に行ったりした後、Webデザイナーになったり(ラッキーなことに黎明期だったので未経験でもなれた。)、ブラウザゲームのデザイナーやったり(そこでやたらと背景が描けてしまうという。なぜかは話さなかったけど)、今に至るわけです。(今はなんだ?)


なので、親も妹も、半分青いのあらすじを見て、「これお姉ちゃんじゃない?」と言っていたくらいだったのに、フタをあけたら何だこりゃー!!!!!!!!


とりあえず、私が最初に、あ、こりゃダメだと思ったのは、鈴愛さんが全く少女漫画を読んでない、描いてないとこ。結局、律が勧めてくれたから読んで、勧めてくれたから描いた展開。


そして親に最低な嘘をついた時。


上京を反対されて、親に「(就職できないのは)耳のせいだって知ってた」だの「娘の夢を奪うな」(適当)だの涙で訴えたのに、翌日に梟会で「あ、あれは嘘」といった鈴愛さんに開いた口がふさがらず。一気に主人公に不信感。


ちなみに、高卒の就職は、高校側があっせんしてくれます。友だちもそれで農協に就職してた。NHKも脚本家の方も高学歴だから知らないんでしょうね。


上京してからもツッコミは続きます。(でもツイートはせず、なるべく心の中にとどめておいた。)


憧れの先生さまの原稿に対するリスペクトがない!原稿を人質にとるなや。

雑用や飯ぐらい作れや。つか、おまえ、ちゃんと作品仕上げたことないだろ!

ちなみにメシアシじゃなくて、メシスタントだよ。秋風先生んとこなら、ひしもっちゃんの役目だろ。

あとアシスタント生活の描写。仕事終わったら、自分の家に帰って寝るわ!!!!

いきなりカケアミは頼まれないわ!!てか、ペンの持ち方ぐらい知ってろ!

つか、ネームばっかやってないで、まず一本かけ!話はそれからだ!



あと秋風塾が変過ぎた。まーこれはフィクションとしていいけど(ということで、この部分もツッコミは抑えたんですが)実際あんな漫画家とアシスタントはいない。あれが、漫画の仕事と思われるのも嫌でした。(特に原稿をバラして仕上げてく手法。少女漫画はコマ割りが少年漫画とは違うので、まず見ないです。まー私もアシスタントに行った先は臨時を含め5、6人ですが。でも割と大御所先生。)


おまけに結局、コネデビューかよ。しかも適当な没ネタ。繰り上がり受賞とかも普通ねーよ!該当作なしだよ!(あ、コネ掲載はあると思います。実際、レディコミではあった。Z先生は声かけしてました。)


いきなり連載とかもねーよ!ジャンプかよ。(別マだと、きらさんの「まっすぐにいこう」がありますが)


スランプ描写は、私はデビューしてないから、プロとしての苦しみは分からないけど。(産みの苦しみはちょっとだけ分かるよ。)、そもそも鈴愛さんには、漫画スキー魂がほぼない!

結局、律がいなくなったから、他の人と結婚したから描けなくなったが本音っぽい。律、律、律、あくまでも根幹は、美形の幼馴染とのラブストーリー。


これ、漫画家でなくてよくね?


で、この「漫画家でなくてよくね?」が回を重ねるごとに感じ。。。


結局、脚本家先生やNHKにとって「漫画家を目指す」という設定がウケけるという思いがあったんだろうなーと思えちゃって。


脚本家先生のTwitter見てると、実際に漫画家さんと交流があるみたいなのに、どうも採用したのは、鈴愛さんの漫画を担当したご友人のなかはら☆ももたさんの生まれ年が鈴愛さんと一緒というのと、けらえいこさんが時間がもったいないから紙おむつをしてるというエピソードだけみたいだし。

北川悦吏子さんのTwitterからの引用
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2010年05月11日(火)
北川悦吏子@halu1224

@****** 漫画家のけらえいこさんは、おしめあてたいって言ってましたよ。トイレ行く時間がイヤだって。集中したいって。プロの根性を見た思いです。

posted at 01:56:37

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漫画家を辞めるのに、秋風先生に言わせるとこも謎でした。辞めるんだったら自分の意思で辞めればいい。


あとは、北川悦吏子さんの実体験(やたら糖分が欲しくなるとか、インタビューやTwitterでの様々な発言から)のようで、コレ脚本家でよくね?と、どんどん斜に構えて見てました。


で、他の朝ドラは半年もあるのでサブキャラの背景もきちんと描かれるんですが、半分青いは、鈴愛さん以外は適当なんですよね。律さえも適当。


一番ひどいのは裕子。


最初、鈴愛さんと敵対するのかと思ったら(鈴愛さんが挨拶しても無視したり)、鈴愛さんの背後からのタックルであっさり仲良しに。

そして、なぜか、同じ年なのに既に秋風塾に住み込んでる。(高校中退?)

小学校から女子校ならお嬢?でも、母親が再婚してから上手くいってない。あれ?母子家庭時代があった?

母親はフランス式子育てで、看護婦になりたいと言ったら、医者を目指せと言われた。

フランス式子育てとは?
https://toyokeizai.net/articles/-/168338

え?漫画家のアシスタントはいいの?

デビューして1回打ち切りくらったら、急に年齢を気にして結婚に焦りだした。

貢いでくれるおっさんとデートした後すぐに、別の人とセレブ婚した。(しかも実家が仙台の老舗和菓子屋。私はここで察しました。)

子どもがいるのに、しょっちゅう鈴愛さんにマウンティングしながら手伝いに来た。

鈴愛さんに「逃げたやつに何がわかる!」と言われて言い返した所は好きです。(でないと無法地帯。)

セレブ婚なのにインテリアコーディネーターになりたいと言い出した。(旦那がインテリア関係の社長だったか。)

謎の水膨れ化したペンだこちゅー。(ペンだこは硬いんだよ。)

旦那の実家(老舗の和菓子屋)のある仙台に移住することになった。(さらに察し。でか旦那の会社はどうした?)

次会ったら、看護師の学校に行っていた。

また次に会ったら、看護師になりたかったのは、子どもの頃入院して看護婦さんに優しくされたからという理由(設定)が話された。

そして看護師の仕事は、生と死のはざまでつらい。鈴愛、わが命!(ちょっと違う)勤めてる病院は海の側だし!

最期まで、旦那と子どもより鈴愛さんLOVE。(そんなに仲良かった?少なくとも裕子の片想い。鈴愛の半身は律だろ。)


あと、裕子の大好きなシナロケは、鈴愛さん世代の曲じゃねーよ!(あ、最後の方で子どもの頃に出会った看護婦さんが好きという設定が加わってたけど。シナロケはまさに10歳ぐらい上のアシスタントの先輩が好きでした。)ちなみに子どもの頃に入院エピソードノベライズにはなかったので、追加エピソードみたいです。(後付け、、)


という感じで、後半になればなるほど、ドラマ「半分、青い」は、喋り方も含め「ぜんぶ、北川悦吏子さん」だったなというのがドラマが終わっての感想です。


というわけで、こんな誰が読むんだというブログから叫んでみました。(ちなみに私は鈴愛さんが羨ましいですよ。デビューして単行本6巻?まで出てるし。あれ?4巻?あのころの別マで4〜6巻出るのってあまりないよ。)



Twitterでの半分青いは、タグが分裂しちゃって、場外乱闘が凄かったですね。そんなこんなを含めての朝ドラだと思っているので、次は穏やかに見たいな。


それにしても、今回改めて書いてみて(これこそ私の半生か。部分ですけど。)私ってば、流されてる人だな。


決める時は自分の意志で決めてるけど。


いや、流されるというか、結局、人との縁だなと改めて思います。


<おまけ>
私の半分青いに関するツイートはこちら。(たまにタグなしでツイートしてるけど)

https://twilog.org/guruxguru2/hashtags-半分青い/allasc


posted by ひま at 08:45| 東京 ☁| Comment(0) | テレビ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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